水木しげる死去に思うこと。

何故トイガンのホームページで漫画家の話をするのか。
しかも妖怪モノが専門なのにと。
それは水木しげるが旧日本軍の兵士だったからです。
享年93歳という年齢を聞くにつれ考えてしまうのはいつか、
最後の旧日本軍兵士、死去。
というニュースが出てくるのではないかと思ったからです。

大正生まれ=90歳!
昭和64年=平成元年で、その平成も27年が終わろうとしています。
つまり大正生まれは自動的に90歳を超えている。
イコール戦争の生き証人は殆ど居なくなっている。
昭和生まれにも戦争経験者は居るじゃないか。
無論そうですが、昭和生まれは空襲に遭った等の非戦闘員の被害者が大半だと思います。
従軍経験があり実際に戦場に行った人となるとやはり大正生まれじゃないかと。

栄光とは程遠い戦場。
水木しげるが召集されたのは昭和18年(1943年)で、当然ながら戦局が悪化している時期です。
しかも一兵卒の歩兵としてニューギニア戦線に送られました。
旧日本軍の初期の快進撃や、海軍だのパイロットだのと言った華々しい活躍とはまるで縁がない。
ただでさえ地獄である戦場の中でも極致を味わったと言えるでしょう。
その為彼の描く戦場漫画は作風が暗かったと言われています。
だって暗いことしか無かったんだもの。
漫画にはそんなメッセージが込められているんでしょうね。

戦場以外でも挫折の日々。
今でこそ妖怪漫画の大家と言われていますが、売れっ子になったのが何と45歳。
それまで軍隊時代のみならず、学業、職業、そして漫画家を目指してもとにかく挫折の連続。
基本的に要領が悪かった。
勉強についていけず、仕事を覚えられず、漫画は描くのが遅いと上手くいかない。
他にも金が無かったり、原稿料が払われなかったりという不幸もあったのですが。
こんな人物がよく軍隊でやっていけたな。
真っ先に戦死するか、上官に目をつけられてパワハラ自殺に追い込まれそうです。
昔は鉄拳制裁が当たり前であり、まして軍隊ではリンチに近い「指導」が行われる訳です。
ある意味不思議でした。

天然だったんじゃないか。
メンタルが人一倍強かった…とてもそうは思えなかった。
思うに彼は良い意味で「天然」であり、常人以上の「鈍感力」を持っていたのではないか。
仕事を首になっても、上官に殴られてもあまりくよくよしない。
水木しげるといえば戦場で片腕を失ったことでも有名です。しかし、
死ぬことに比べたら腕一本無くしても生きている方がずっと良い。
と言い切るくらいです。
あとは芸は身を助けると言いますか、絵で気に入られたこともあった様ですね。

一番の幸運は奥さん。
NHKで「ゲゲゲの女房」をやっていましたね。
40近くまで独身だった水木しげる。
周囲のすすめで見合いをしてわずか5日でスピード結婚。
普通の会社員の倍は稼いでいる。
こう豪語したのですが、実際は都会に住んでいるだけの貧乏人でしか無かった。

普通バレた時点で話が違う、実家に帰らせていただきますとなるところです。
しかし奥さんは別れなかったんですね。
それどころか水木しげるの絵の才能に感化され全力でバックアップした。
いい男に嫁ぐのではなく、嫁いだ男をいい男に育て上げる。
こんな奥さんそうそう居ないと思います。

無芸大食。
水木しげるは無芸じゃありませんが、近眼以外は昔から健康そのものだった様ですね。
だから大器晩成も出来たと。
晩年になっても食欲旺盛であり亡くなった切っ掛けは自宅で転倒して頭を打ったから。
これが無ければまだまだ元気だったんでしょうね。


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